Saturday, January 23, 2016

第51回関東高等学校演劇研究大会(さいたま会場) 長野清泉女学院高校演劇部『宇宙の子供たち2015』

(関東高等学校演劇研究大会さいたま会場パンフレットより)

@彩の国さいたま芸術劇場 大ホール

作:クリアウォーター
出演:長野清泉女学院高校演劇部

北関東大会2校目にしてようやく北関東の高校が出場…!笑

地区から追いかけてきた長野清泉。高校演劇を観るようになって15年くらいになりますが,地区→関東と観てきた作品はこの学校が初めて!ということに気づきました。昨年の長野県松川高校関東全国と拝見しましたが,途中で年度が替わりメンバーが変更になったので,地区から変わらず…というところはここだけ。嬉しいーと思う気持ちが半分と,なんだかこれはストーカーでは?という気持ちが半分で,なんともビミョウな思いです。笑
(「地区」とか「県」とかクリックしていただければ,その大会公演の感想に飛びます)

でも,地区を観た時には「地区じゃ終わらないぞこの高校!」と思っていたので,それが本当に関東まで行って,関東の舞台を私も共有できたことは,とっても嬉しいのです。

なんか,なんだろう。地区から関東まで通して思ったこと。
私全然長野清泉事情に詳しくないし,2004年とか2006年とかの県大会以来全く観ていなかったから比較の仕方が悪いなとわかっていて書くのだけど,昔の清泉には私立の女子校特有のやらしさがあるなーと思っていたんです。やらしさというか…癖っぽさって言い換えても良いかも。いかにも演技してます!という癖っぽさが私が昔観た清泉にはあって,観ていると引いてしまう感じが個人的にはあったんです。(スミマセン…。あくまで主観です…。)
が,2015年に観たこの作品はそういうやらしさが抜けてて,とってもナチュラルなお芝居に仕上がっているように感じたんですよね。清泉が変わったのか,私の受け取り方が変わったのか,その両方なのかわからないのですが,とにかくこの作品で私の長野清泉に対する見方が変わったのは確かで,月日の流れってオソロシーと思ったのでした。←ほめてます。ほめているのです。

県大会が終わってから,この作品が映画『誰も知らない』のエッセンスを拾っている(らしい)ということを知り,私もこの映画を観てから関東に臨みました。いつか観たいと思っていた映画だったので,きっかけを作ってくれてありがとうという感じです。
本当にエッセンス…という程度で,ストーリーが似てるとかそういうものではないのですが,子どもにとって「遊び」というのはものすごい力があるなぁということは映画からも舞台からも感じられました。遊ぶことで,その世界に没頭することで,つらい現実から逃れることができる。空腹を忘れることができる。ケンジとタダシは,生きるために,本能的に遊んでいたのだろうなーなんてことをしみじみ思いました。
あと,『誰も知らない』でも,児相に保護されたら生活の質は確実に良くなるし,何より命の保障があることはわかるけれど,きょうだいが離れ離れになることは受け入れられない…という理由でコンビニ店員による通報を拒否するシーンがありました。『宇宙の子供たち』でも民生委員カグヤさんのお宅訪問をシャットアウトするシーンがあって,この,きょうだいの一心同体感というか運命共同体感って何なんだろうと思いました。ケンジはタダシだったし,タダシはケンジだったのかな。離れ離れになるのは,自分の一部を切り取られるような感覚なのかもしれない…。とか思ったり思わなかったり。あとやっぱどんなに劣悪でも,親を守るんだな,子どもって。だって親だからね。質としてはわるわるの絆に対して,外部がどう切り込んでいくかって難しいですね…。「難しい」という言葉でしか表現できない自分の力のなさに,大人としてがっくりきてしまいます。

そうそう。さすが関東大会だなーと思ったのは,お客さんの反応の仕方というか,着眼点というか。望遠鏡って実在したのかなとか,いつまであったのかなとか。あぁ…そんなの私考えたことなかった…。でも,あれだけ抽象的というか想像力を要する舞台なので,望遠鏡まで見えなくなってしまうのは私はつらいかもしれない…(メンタル的にも理解の面でも)。私達観客の目の前にあるものと,ケンジとタダシが実際に見ているものが一致していなくたって,それはそれで良いじゃないかと思っております…。

なんか,そういえばTwitterでフォローしているこちらの学校の部員さん情報によると,照明などのマイナーチェンジがあったようなのですが,私あんまり気づけませんでした。ゴメンナサイ…。人の痩せた太ったもイマイチ気づけないニンゲンなので…。スミマセン…。でも,ラストの星空は(あんなに光ってたっけ!?)と思ったのと,目つぶしライト(と私は勝手に呼んでいる。客席に向かって光るライト全般をそう呼んでいる…。)が印象的だったのですが,せりふとか変わってたかもしれません。が,気づけませんでしたスミマセン…。アワワワ…。

あ!気づけたのは,ロクスケとお姉さんの位置!ここは県の時すごーい気になってたから,(前に出てきてますように!)と思ってたのですね。なんとなく県の位置より前に出てきている感じがしたので,良かったです。キャストの皆さん全体の声量や滑舌も県の時よりクリアで聞きやすくなっていたので,安心して観ることができました。
そういえばロクスケのあの姿を北関東の皆様の前で披露してもらえて,部外者ながら私はとてもとても満足でした。笑 やっぱあれインパクトありますよね。笑

3回目の観劇なので話もわかっているし流れもだいたい掴んでいるのだけど,やっぱり最初からネグられていることがふんわり漂いすぎている気がしてしまうのは私だけでしょうか…。
パンフレットとか見てもそんな雰囲気全く出してないのであえて情報として伏せているのだと思うのですが,その割にいっちばん最初から仄かに,でも確実に要素は出しているので,いつどのタイミングでばばばーんと出すかは再考の余地があるように思うのですよね。出すというか,どう触れていくか・聞かせていくか…みたいな。(たとえばウサギマダム達の井戸端会議の「見ちゃったのよ,あ~ざ!」の「あざ」とか。)やはり同じ情報でもどう聞かせるかによって,その情報が重要かどうかを聞き手は瞬時に判断していくと思うので,よくよく聞いたらちゃんと布石あったじゃん!みたいな感じだと,もっと(やられた!)という気が後々するのかなぁ。んんんー。

そう。3回目なのにやっぱりラストシーンで涙出たのでふぐぐぐと思ってしまいました。泣かなかったけど。やっぱりケンジのあの表情に,あのきょうだいがほしかったもの全てが詰まっているような気がして,ぐわーってきました。あとその前の,タダシの「何が見える?」は,それまでのアドレナリンばしばしの状態から現実に打ちのめされた“落ち感”(うまく言えないけど)がすんごい出ていて,思わず(うっ…)ときました。胸にずしっと。落とすのがうまいというのは果たしてほめ言葉なのかよくわからないですが,あのキャストさんは力があるなと毎回思っております…。

はっ。そういえば講評で,ラストの暗転をかませない方法というか,「あのシーンは誰が観ているのか」という話はとっても勉強になりました。←別に私お芝居つくる予定もなんもないですが…。
講師の先生のお話を伺っていて,昨年観た世田谷パブリックシアター『道玄坂奇譚』のラストシーンを思い出しました。確かに,暗転をかませると私達が見たかった画になってしまう気が…。でもきっと本当にお父さんお母さんが起こしてしまったら私の涙腺が崩壊したかもしれないので,これはこれで良かったと思うことにします。笑


長野清泉の皆さん,優秀賞おめでとうございます。地区で終わらないと思っていた作品がこんなところにまで来てくれて,勝手に嬉しくなっています。女子高生のパワーおそるべし。ラストの曲も印象的なので,レンタルして聴いてみたいと思います。
地区~関東と,長期間お疲れ様でした!

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