Saturday, January 31, 2015

第50回関東高等学校演劇研究大会(千曲会場) 新潟県立見附高校演劇部『CUT! & START!』

@千曲市更埴文化会館あんずホール

作:関勝一
潤色:鶴巻昌洋
出演:新潟県立見附高校演劇部

新潟県の高校のお芝居を観るのも10年ぶりです。
長野県からしたらお隣の県なのだけど,以前りゅーとぴあに行ったときにゆるやかな流れの信濃川を見て,(あぁ海のある場所なんだなぁ)と思ったし,新潟市は気づいたら政令指定都市になってたし,似ているような,でも全然似ていないような。山梨県と一緒に“甲信越”とは呼ばれるけど,違う文化のある街だなーとしみじみ思ったものです。

さて,そんな新潟県のお芝居。
な,なんていうかここの学校…大量の1年生とちょっぴりの3年生しかいない!
私も高校生のときは一つ下の学年がすごく少なくて,いろいろ苦労したのです。直属の後輩ができなかったし,やっとできた二つ下の後輩に,いきなりぎゅーぎゅーといろいろ詰め込んで,かなり負荷をかけてしまった覚えがあります。とにかく学年が一個飛ぶって,かなり大ダメージだと思うのです。
いろいろプロセスはあるだろうけど,結果として県を勝ち抜いてここまで来られたのがすごいなーと!きっと3年生の皆さんは,ご自身の進路決定と部活をなんとか両立されてきたのだろうなぁ。お疲れ様です…。

幕が開いて,ぱっと目に入ったのは,上手の,スクリーン替わりのパネル(?)です。私,南関東大会から「現代はパソコンやプロジェクターを舞台に登場させる時代になったんですね」と言ってばかりですが,この学校もやはり使用されていて,時代の波に乗ってるな…と思いました(笑)

現代のユカとナツキが懐かしみながら,高校生当時のキラキラした時間や苦い出来事を思い返すお話だと思うんですが,私も内山先生の講評のように,もっとキラッキラしてて良いだろうなーと思いました。私自身が高校を卒業して結構…そう,結構経つんですが…(笑),思い出したくない嫌なこともありますが,それでも楽しかった思い出の方が多いので,同じ部活のひとと話すとテンションが高くなるし話し方も高校生のときのように戻ります。もう二度と戻らない時間をなぞる感じ。思い出したあと現実に引き戻される瞬間もあるけれど,思い出している最中は,キラキラを追えるのです。
だから現代のユカとナツキが話をしていると,(タカコちゃんはその後自殺か何かしたのだろうか…)と思ってしまいました。そのきっかけを作っちゃったのがうちらなのかな…みたいなテンション…!あれ。そういう話じゃないですよね…!?(ちょっと不安)

それにしてもタカコちゃんはなぜ特撮ものが好きな女子だったんだろう…。いややっぱり,結構覚悟がいると思うんですよね,(キャストとしての)女子が地底人になりきるって。知りたい気もしたけど,そこは本筋じゃないのでいっかとも思います。

“自分がされて嬉しいことは相手にとっても嬉しいこと。だから他人にもしてあげよう”という考えは,小学校とかそういう場でよく取り上げられる考え方だと思いますが,それって結構親切の押し売りだったりするんですよね。逆に,“自分がされて嬉しいことが相手にとって嬉しいこととは限らない。だから自分がされて嫌なことは,相手にしないであげましょう”みたいに言われたりもする。私は昔は前者として生きてきた気がするけど,今は後者だなーと思います。
このお芝居はおそらく前者によるすれ違いでこじれてしまった人間関係の話で,高校生のときの苦いことも今の仕事の苦いことも,どっちも思い込みによるものだった…というちょっと切ないお話…。
難しいよね。「相手の立場に立って考える」って。“事象”って目に見えるから,見えないもののことはよくわからない。だから「部活に来られるんなら,授業にも出られるでしょ」と安易に思ってしまうのも,ある意味仕方ないというか。やっとの思いで制服を着て,やっとの思いで学校で上履きに履き替えて,やっとの思いで部室にたどり着いて今ここにいたとしても,そのプロセスを想像できずに起こっている事象だけに目をやっていては,きっと私達はわかりあえない。大切なのは,今起きていることの連続体として,どういうことが「今ここ」とつながっているかに思いを馳せることなんだろうなと思います。
そんなことをじんわり伝えてくる話だったように感じます。

それから,私も舞台セットはもう少し工夫の余地があったんじゃないかと思います。パソコン画面の投映に上手の壁を使っていますよね。パソコン画面が重要かと言われたら超!重要という訳ではないので,必ずしも全ての客席から見える必要はないとは思うのですが,でも映す以上ある程度見たいと思うと思うのです。お客さんとしては。でも本当に上手のきわっきわに座っちゃうと,きっと見られなかったんじゃ。投映するや角度は,もう少し改良できそう。
あと,内山先生の講評を聞いていて私のもやっと感が解消できたので書いておきます。上手のあのエリアが(投映も含めて)なんだかすっきりしていないなーと思ったのですが,現代の2人が上から下に降りてくるときに奥にいっちゃうからなのかーってわかりました。そうだよね。物理的距離は心理的な距離でもあるから,前に出てきて,2人が現代のニンゲンであるっていうことを実感できると良いのか…と感じました。

私も同じ過ちを繰り返すと,(なんて成長していないんだ自分…ヽ(;▽;)ノ)と思い大変かなしくなります。「同じ過ち」の間隔が開いててもそうでなくても。やり直しはできなくても,仕切り直しはできる。切なくなることを思い出すことによって,切り替えることはできる。
前向きに生きようなんて思わないし思わなくていいけど,抱えて生きることは大切なんだろうなと思わされた作品でした。
見附高校のみなさん,お疲れ様でしたー。

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